2007年 01月 19日
昭和なドイツのおやじ ~ドイツ語道場 入門編~ |
↑うちっす。
我が家は屋根部分なので壁が斜めっている(笑)。
ドイツで生活を始めて、そろそろ満3ヶ月。やっと慣れてきたころなんだろう。
自分じゃあまりわからないが、外出するのがそれほど億劫ではなくなってきた。
来たばかりのころは、外国生活は初めてではないにしても、やはりドイツ語のドの字も知らなかったし、生活習慣がわからず、外出するといろんなことが結構ストレスになった。
しかしながら、ドイツではかなりの場所で英語が通じるので、ここぞというとき(銀行口座を開く、電話に申し込むなど)にあまり困らない。パリみたいに英語を話せるくせに話したがらないという風潮もほとんどないし、むしろこちらが外国人だと気づくと、あまり上手でなくても一生懸命英語を話そうとしてくれる。
基本的にとても親切なのだ。
※ただし、ドイツでは北部と南部で文化が異なり、北部の人々はクールで、あまり笑顔を見せたり人に合わせたりしないという話もある。
英語どころか、ドイツ人に日本語で話しかけられたことがこれまでに2度ほどある。この小さな町で驚異的な確率だ。
1度目はダンナと初めての古城観光へ行く道の途中。道中迷って地図を眺めていたら、後方から突如「オシロハアッチデェス!」とアクセントこそあるが明らかな日本語が聞こえてきた。振り返るとドイツ人男性が声を張り上げてお城の方向を指差していた。私たちを遠目で日本人と見破る眼力もすごいし、地図を見ていただけでお城を探しているとわかるのもすごすぎる。…エスパーか(笑)。
2度目は食品スーパーでドイツ語表記が読めなかったとき。売り場の前で電子辞書をピコピコ操作していると、やはり突然横から「ナニヲシラベテルノデスカ?」と、日本語が飛んできた。驚いて見上げると、長身・長髪のドイツ人男性が。私は調べていた単語なんかより「な、なんで日本語しゃべれるんですか?!」と問い返してしまった。彼は日本に1年ほど留学していたとのこと。いや、本当にびっくりした。3年半もいたアメリカではこんな経験は皆無だったのに。
もちろんドイツ語しか通じない場合もある。しかし、ドイツ語でまくし立てられても、1~2つ単語を拾えれば、話の流れから内容にだいたいの見当が付く(見当というより、極めてカンに近い)。ワタクシは早口なアメリカのド田舎にて、最初の3ヶ月間はまったく英語が聞き取れない状態で生活していたので、この「流れから見当をつける
当初は英語力ではなく、推測力で生き抜いていたのだ(笑)。
この推測力がドイツで役立つなんて考えてもいなかったが、同じく英語は話せるがドイツ語はさっぱりのダンナにも、時折「よくわかるね?!」と驚かれる。…元から英語できるヤツには身につかないサバイバルな技能なのさ。ふっふっふ。
←毎週月・水・金に出るマルクト広場の市。ここで毎回ワタクシも新鮮な食料品を購入する。が、100%ドイツ語しか通用しないため、ちと困ることもしばしば^^;
長文なので、後半は↓のMoreをクリックしてちょ。
てなわけで、最初の2~3週間は買い物する際もほとんど英語しか話さなかった。ドイツ語がまったくダメだから、という理由もあるのだが、相手が英語を話せるのをいいことに、簡単な内容すら話そうとしなくなっていた。
アメリカ人が外国で当然のように英語で話すのは、やはりほとんどが通じるからだろう。そんな彼らの態度はときに尊大に見え、あまり愉快に映らなかったはずなのに。
そんなある日、近所の小洒落た食器屋さんですてきな小皿を安く売っていたので、店主らしきおじさんに英語で「これを2つください」と用件を伝える。
が、60歳は超えているだろう、きれいな白髪に白ひげをはやした恰幅のいい店主から返ってきたのはやはりドイツ語だった(ドイツでも若い人ほど英語が流暢で、年配は話さない人が多い)。
「この店はドイツ語しかダメか」と、即効で知っている単語を並べてなんとか伝えると、「取り寄せるまで2週間かかるよ」との返事(もちろんこれも推測力・笑)。それでもその小皿がほしかったので、オーダーすることにした。
注文用紙に記入しようとするが、質問項目のドイツ語がわからず首をひねる。すると別の客として来ていたおばさんが英語で教えてくれる。ふふ、楽勝だ。
しかし、用紙を渡してレジから去ろうとしたとき、ドイツ語しか話せないと思っていた店主が突然流暢な英語で話しかけてきた。
「もし私が英語で話したら、君はいつまでたってもドイツ語を話さないだろう? ドイツに来たのなら、ぜひドイツ語を学んで話さなければね」、と。
聞き様によってはなんとも説教くさい内容だが、私はむしろ意思疎通できたのがうれしく、どこかニッポンの頑固オヤジ的な響きに、親しみすら覚えた。貫禄の裏にある余裕とやさしさとでも言うのだろうか、外見からもその店主の人柄が伺えたからかもしれない。
私は少し興奮した英語で、ドイツに来てまだ2週間ということと、次週からドイツ語学校に通う予定であることを伝え、引取りに来るときはもう少しドイツ語をうまく話すことを約束してお店を後にした。
二週間後。私はちょっとドキドキしながらお皿を取りにおじさんの店へ向かった。おじさんは接客中だ。代わりに奥さんらしき店員に注文用紙を渡し、お皿を出してもらう。すると、応対を終えたおじさんがレジの向こうにどっかり座り、奥さんにワタクシとの前回のいきさつをおもむろにドイツ語で説明し始めた。奥さんは「あらそう。フフフ」と微笑んでいる。この人もいい人そうだな。
私は、習いたてのドイツ語を前回より少しマシな文章にして近況報告すると、おじさんはふむふむ、と聞き入っていたが、文法の誤りは即座に修正^^; どこまでもうるさ型だ(笑)。
この手の頑固オヤジは、昭和の時代には日本にもたくさんいたはずだが、いまやとんと見かけない。頑固者といえば、その人なりのプライドとこだわりが極端な方向を向いていて、それはそれで迷惑だったりもするのだが、ときに美学のような香りも立つ。物分りがよく、無味無臭の人々が多い昨今、その存在はひと際目立ち、なつかしさとともに私にある種の「待った」をかけてくれる。
以来、私は極力ドイツ語を使うようにしているが、そうなると相手は当然ドイツ語で返してくる。質問はできても、今度は返ってきた言葉が理解できない、という苦難に遭っているのだ(とほほ)。そろそろ自慢の推測力だけではどうにもならないので、来月から再開するドイツ語学校に力を入れるとしますか。と、再開の申し込みを学校の先生に英語でメールしたら、返事はすべてドイツ語できた。
…アデルハイド(先生の名)よ、おまえもか(涙)。
苦難はしばらく続きそうである。
by nachapin110
| 2007-01-19 00:14
| ドイツの風景