2009年 09月 19日
獲得する「自分」 |
最近になって、娘が自分の手をじっと見つめるようになった。
育児書を見てみると、これは「ハンドリーガード」と呼ばれ、
自分の体に気づいてきた証拠だという。
人間って、自分の体の存在すら、後から獲得するものなんですね。
いやはや、興味深い。
これで思い出すのは、私が小学4年生ごろ、
地元の駅のホームで、「ワタシ、ってなんだろ?」と疑問に思った瞬間。
忘れもしない、鮮明な記憶。軽い衝撃すら感じた。
今から思えば、あれはもう1人の自分、
つまり「自己」を客観視する「第2の自分」の出現だったんだろう。
この「第2の自分」が、他人からどう見られるのか、などなど、
その後、つまらないことであれこれ頭を悩ます原因にもなるのだけれど。
人生も半ばともなれば、「自分」以外にも、獲得してきたものが多くなる。
物質的にもそうだけど、様々な経験、友人、家族、、、etc.
そして、これからは手放すもの、失うものも増えていく。
最後は、健康や記憶、そして「自分」まで失う。
人は新たに獲得したモノの順からすべてを手放し、土に還ってゆくのだろう。
娘が生まれ、彼女がどこから来たのか、未だに不思議になるのだけれど、
私自身も彼女と同様、突き詰めて考えれば、
大地から、もっと言えば宇宙に存在した「アミノ酸」から発生したモノ。
そう思うと、この「人間=宇宙のかけら」が築いた日常というものが、
偉大な光景に見えてくるのだった。
by nachapin110
| 2009-09-19 14:28
| 東京ライフ